沈黙

どうやら今、割と大きな人生の岐路に立たされているようです。
病気やらこの先の進路やら、悩んで悩んでなんだか身動きが取れない。

このときが過ぎて後々振り返ってみるとたいしたこと無いことなんだろうけど。

大宮編(9月の続き)

目を覚ますと白い天井が見えた。

くるしい。

何かが口から突っ込まれていて息ができない。
誰かがバキ!バキ!と口をふさいでいたものを外す。
人口呼吸器だろうか?

周りを見わたすとうちの親父と看護士が2人いた。

起き上がろうにも力が入らない。腕すら動かない。
しゃべろうにも腹に力が入らないので本当に小さな声しか出ない。

大体ここはどこだ?何月何日の何時なんだ?



川口の病院で集中治療室のようなところに運ばれた僕は
訳のわからない機械、点滴を装着され
さらに訳のわからない部屋に連れて行かれた。

これからカテーテル検査をするとの事。

僕の記憶はここまで。
検査のため麻酔を打たれ意識が無くなる。
そして次に目覚めるのが最初に書いた部屋。



意識が無くなって目が覚めるまで、その間約…




1週間。



後に話を聞くと(自分のことなのにこの1週間のことは知らないなんておかしな話だよな)
川口での精密検査の結果、心臓の病気と判明。

心筋梗塞もしくは心筋炎の疑いがあった。
そのためカテーテル検査を行い、心筋炎だと診断された。

しかも劇症型心筋炎という珍しい例なのだと。
これは、風邪のような弱いウイルスが心臓に入り込み炎症をおこし心臓停止状態になる病気。

川口の病院では対処ができないとのことなので
循環器系では定評があるという大宮の大学病院に転院するこのになった。
もちろんこのときの僕は意識がなく救急車でサイレンならされ運ばれていったのは知らない。

それから1週間。

自分はただ寝ていただけだが、周りの人間には地獄の日々だっただろう。

人工心肺がつながれ、点滴で生き延びる。
副作用の強い薬を投与され輸血もする。
手足が冷たい。

この症状は手術をしてどうにかなるものではなく、
あくまで自然回復を待つしかない。


観ているほうがつらい。



こうして1週間以上連続使用できない人工心肺を取り替えるかどうかの時期に奇跡的に心臓の動きが戻る。

本当に奇跡的。

この病気の生存率は3割。

後に先生に聞かされた。
今となっては夢だったとしか思えない。

退院前に一番悪い時の心臓のエコー画像を見せてもらったが
本当にほとんど動いてなかった。
普通100%動いている心臓のほんの3%しか動いていない状態だと説明された。

「拾った命大切にしてください」

最後に言われた言葉は忘れられない。







目覚めてからCCUにいた1週間は本当につらかった。
その辺の話はまた今度にしましょう。